hatomi blog

つれづれ

Bury me, my Love

  1. Bury me, my Loveというゲームをやりました。
    Bury me, my Love – A Story of Love, Hope and Migration
    概要:シリア人の主人公の女性とその夫である「私」がテキストメッセージを交換していく。主人公のNourは単身、シリアを脱出し、ドイツを目指して不法入国、移動していく。
    最初に設定は明らかにならないが、最初に彼女のセルフィーが送られてきたり、家族のエピソードが挟まることで状況が明らかになっていく。

    タイトルの「Bury me, my Love」は、buryは埋葬なので、埋葬してね=転じて、私より先に死なないで、私の愛する人、という意味の挨拶からきているらしい。

    youtu.be

  2. 知ったきっかけ
    年末に何気なく見ていたNHK「日本賞」表彰式という番組で「日本賞」というのが優れた教材に与えられるのを知った

    www.nhk.or.jp

    そこで受賞していた作品が、個人的に関心があるテキスト形式のゲームだった
    年末年始休みでやろうと思ってダウンロードしてはじめた

    ドイツとフランスのメディアが協同して実際の取材に基づいて作られていること、2016年の設定ということで既におよそ3年前にはなるが、近年の社会問題について知るきっかけになればと思った

  3. やってみて(ネタバレを含みます)
     19通りのエンディングがあるらしいので、再びやってみようとも思うが一度終えた感想を書く。
  • Real Time モードの効果
    このゲームは通知をONにして"Real Time"モードにしていると、難民として故郷を去った自分の妻が「おやすみ」と言ってから数時間は連絡が取れなかったり「じゃあカヌーで漕ぎ出すから、幸運を祈って」といってしばらく音信不通になるのを経験することになる。
     年末、忘年会の席にいながら3月の寒いヨーロッパの海に漕ぎ出したNourからの返事が来た時、安堵したと同時に、同じような不安や最悪の事態が別にこのゲームを私がたまたまダウンロードするしないにかかわらず、これまでもこれからも現実には存在していることを考えた。今、この瞬間にも、ボートで海を渡った結果低体温症で命を失ったり、あるいは不法入国者咎められてキャンプに送られたりする人間が現実に後を絶たないことは、知識として知ってはいても、自分のiPhoneに通知がくるという効果によって「今」起こっている出来事であることが強調された。

 

  • ユーラシア大陸についての無知の自覚
     私が今回たどり着いたエンディングにおいて、Nourは出発後、おおまかにこんな足取りだった。ゲームの中で地図も表示されるよ
    シリアのHoms → トルコのBeiruit → トルコのIstanbul →トルコのEdrine →(カヌーで!)→ ギリシャのAlexandroupoli 、 Idomeni → セルビアBelgrade →(1990年頃のボスニア紛争による地雷地帯を歩いて)→ クロアチア →(フェリーに隠れて)→ イタリアのAncora、ネットの同乗者募集サイトを使ってイタリアのVintimille → 山を歩いてフランス国境越え色々あり → ニース、マルセイユ、カレー(Calais Jungeと呼ばれるカレーに作られた難民キャンプ)
    ここまで移動したところで彼女との連絡が途絶えてゲームエンドしてしまいました。バッドエンド。

     正直言って、西ヨーロッパへの旅行経験とうっすらとした世界史の知識だけしか持ち合わせておらず、彼女がどこを旅しているのか全くわからなかった。
     途中からあまりReal timeモードにこだわって会話の特に地理的、政治的な問題を追えずにNourに返事をすることが不誠実だと感じてFastモードに切り替え、ネットで地名や難民キャンプの状況、事件を検索しながらすすめた
     たったそれだけで、これまでニュースを見ても全然見えてこなかった、「現実にそれがある感じ」がとても増した

  • 残酷なこと、が現実の社会にあること
     カヌーでトルコからギリシャに渡ったり、クロアチアの地雷地帯を歩いて国境越えする彼女に「you are insane!」と選んで返事をしたら、シリアに居ても同じぐらい危険なんだし、と返事が返ってきたのだった。他にも悲しい、残酷な出来事がいくらでもあった。
     同時に、そうした残酷な出来事が普通の私の知っているヨーロッパの、というか普通の自分の知っている現代社会の雰囲気と同居していることがとても印象的だった。彼女はネットで同乗者検索サービスを使ってヒッチハイクをしたりもする。何度か登場した、彼女を乗せて運転する人間たちは生まれながらにユーロ圏の市民権を持つ人間で、旅行としてヨーロッパを移動したりしている。国境を越えるのに問題はない人間と、そうではないNourたちは、常に隣人なのだ。このことは恥ずかしい限りだが、なかなか自覚しがたい。
     そして私のプレイしたストーリーでNourはあるヨーロッパ人の身分証明書類を盗むという罪を犯すのだが、彼女の切迫した状況でそれをしないことができるだろうか、という問いも設定されている(と感じた。)

  • ディテール、個人を通じて見えてくる世界
     ギリシャでとりあえず30日の在留許可をもらったり、NGO赤十字のキャンプが登場する。その度に検索すると、実際の難民キャンプの様子を写真で見ることができる。IdomeniもCalaisも検索すればその場所の困難さをすぐに知ることができた。が、Nourが居るという手がかりがなければ、私はその場所について調べなかったと思う
     世界情勢は混乱している。ディテールは十数年にわたって複雑さを極めて、そういったニュースから置いていかれて久しい気分の自分には重たすぎる、と思うのは私だけではないはずだ(きっと)。
     しかしこのゲームを通して僅かながら地理的、時系列的という限定された手がかりではあるが、今、世界にある問題について多少なりとも知りたい、知ろう、という気持ちがすんなりと湧いてきた。それは他でもない、(それが取材に基づいたフィクションだったとしても)顔の見える個人とのコミュニケーションによるものだからだと想像する。
     もちろん、Nourと英語で会話できること(残念ながらまだ日本語版はない。でも、きっと母国語でやりとりしたらもっと変わる気がする)、彼女がユーモアと勇気に溢れる共感可能な人物であることが負うところは大きいと思う。
     それでも、特定の個人という知ることのできる範囲から知っていくことが設計されたこのゲームのデザインは秀逸だと思った。自分の住んでいる地域や今では詳しいことでも、全てが個人的な知り合いや自分個人の体験から得た情報を中心に構成されている。
     複雑で、相関的な出来事であるからこそ多角的な視点で知らなければと身構える世界情勢、難民、国際問題・・・という内容だが、その当事者個人に関心を寄せるところから「知る」ことの扉が開ける場合があると感じた。自分にとっては、かなりそうした体験をもたらすゲームだった。

  • ほどほどな英語の勉強にもなる
     英語モードでしか今のところないからだけどtextingの省略?とかへーっていうのがあった。しかも返信は自由文じゃなくて選択だから読むのならなんとか、、って感じで大丈夫

という感じでした。何度もプレイできるので、次は彼女に無事に在留資格が与えられ、仕事や家が手に入ったよ、、というようなところまで見てみたいものです。難しいのかなあ。