もやもやすること
今日、あまり普段話さない人たちと作品とかの「理解」の話になったときに
「わかりやすすぎる」こと(メディアとか)の危険性みたいな話とか
良いと感じる作品こそ モヤモヤが残る、どう説明してよいか分からない という会話になった。
正直言って人見知りが発動しまくっていて、その時に
ソンタグは『反解釈』では作品の内容理解(解釈)することの下らなさ、低俗さを説いていたり『ラディカルな意志のスタイル』では形式にこそ意味が表現されているっていう話をしてたりするし、それってちょっとマクルーハンが話していることにも似てるよね!!!??
という話をできなくて、帰り道に、ああ、うまく自分が考えたことがすんなり喉を通らなくてつらいな、恥ずかしいなと思った。
もしソンタグ?ってされたら一から説明する力量が自分にないっていう自信のなさがそうさせるんだろうなあ、あるいは、ソンタグはそんなことは言ってないんじゃないっけ?ってさせたときに反論したり?する自信?とかがないからなんだろうか?とか。
でもまあきっとこうやって振り返ることができたことは、そのうち出来るようになるはず。
寝る前に恥ずかしくって布団に頭をドカドカやる思い出が今までも数千個あるところに一つ増えただけじゃないか。